個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

建元の時代

・343年(晋暦建元1.1.辛未) 晋の康帝,司馬岳は皇祖を祀った。(『通典』告礼)

※『通典』-郊天上には岳が郊祀の儀式において「天子」を自称したことが注記されている。郊祀の際の「中国」の君主が「天子」を称するのは珍かったことから注記されたのであり、「皇帝」を自称して祭祀を行うことは一般的であったことから注記もなされなかったものと推測される。今文学家の影響によって、郊祀の目的として天意に沿うことが重視されたことは十分に考えられるものの、「天子」自称が例外的な事例であったことが窺える(佐川英治「皇帝が「天子」を称するとき」『君主号と歴史世界』)。

・343年 高句麗の故国原王,高斯由は前燕朝貢を行った。

※斯由の名は「釗」とも伝わる。また、「中国」との外交を行うに際して高句麗王は「高」という姓を名乗るようになったが、これは国名から採ったものと考えられる。一字の姓名が「中国」的であるという観念があり、「中国」文化を受容して自国の文化が高水準であることを主張したとも考えられる(河内春人『倭の五王』)。