個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

霊長類、猿人

・21世紀より約7000万年前 原猿類と呼ばれる最も古い霊長類の仲間が現れた。

※この時点においては、霊長類は主に昆虫を食す夜行性の動物であったと考えられている(斎藤成也『図解 人類の進化』)

・21世紀より4000万年前 原猿類から進化した、視覚などが発達し葉や果実を食す真猿類が登場した(斎藤成也『図解 人類の進化』)。

・21世紀より2500万年前 霊長類の仲間に類人猿が現れた(斎藤成也『図解 人類の進化』)。

・21世紀より約1000万年~700万年前 とある類人猿のメスがいた。

※2人の娘の一方はPan troglodytesおよびPan paniscusの、もう一方は人類の祖先となる(Yuval Noah Harari『サピエンス全史』)。

B2186 21世紀より700万年前~250万年前のAfricaには、Pan troglodytesに似た体つきで、脳が小さく大きな犬歯を持ち、木登りはするものの2本の足で地上を歩く人類がいた。

・21世紀より700万年前 Sahelanthropusが生きていた(篠田謙一『人類の起源』)。

※化石はChadにて発見された。発見された内で最古の人類である(篠田謙一『人類の起源』)。

※人類には、直立二足歩行をするという特徴がある。直立二足歩行が可能になったことで、サバンナにて獲物や天敵を発見しやすくなり、また、歩行に必要なくなった腕を、物を掴むことや合図をおくることに使えるようになった(Yuval Noah Harari『サピエンス全史』)。

※直立二足歩行をするようになった理由として、四足歩行よりも太陽光線を受ける体表面積が少なくなり、胴体が地表面の反射熱を直接受けにくくなるからという説がある(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』)。

※人類の脊柱は直線状でなく緩やかなS字のカーブを描く形になったほか、胴体か細く、体毛が薄くなった(斎藤成也 編著『図解 人類の進化』)。

※直立した人類は、気管と食道が垂直になり、物や空気を通過させる機能が発達した。また、声を出すことも容易になった(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』)。

※歩行に用いられなくなった人類の手は、次第に掌と指に、神経と微調整の可能な神経が集中し、複雑な作業が可能になった。この時代には、人類が道具を使っていたことが判明している(Yuval Noah Harari『サピエンス全史』斎藤成也 編著『図解 人類の進化』)。

※物を咥えるという機能を両手が担うようになると、口腔が広がって舌が自由に動かせるようになった。こうして口の微妙な筋肉の動きが可能となり、言語が発達する道は切り開かれた(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』)。

※足は歩行にしか使わなくなり、物を掴む機能を失った(斎藤成也 編著『図解 人類の進化』)。

※霊長類の頭蓋骨は、元々四足歩行で支えることを前提として進化した。そのため、直立二足歩行をすれば、骨格で大きな頭蓋骨を支えざるをえなくなる。それが、人類は肩凝りと腰痛になる理由である(Yuval Noah Harari『サピエンス全史』斎藤成也 編著『図解 人類の進化』)。

※直立二足歩行は、腰回りを細くする。そのため人類の女性は産道が狭まり、さらには胎児は大きな頭で産まれてくるため、母親は出産の際に生命が危険に晒された。胎児の方は他の哺乳類と比べると、頭蓋骨が未発達な未熟児と言って良い状態で産まれてくる。胎児の頭がまだ柔らかい内に産んだほうが、母体は生存しやすかったため、早期に出産することが推奨された(Yuval Noah Harari『サピエンス全史』)。

※多産であるためには授乳期間が短い必要があり、Pan troglodytesの5年、Pongoの7年と比べると1年と短いものになった。ただ、独り立ちには10年以上の時を必要とするため、幾らかの家族の集まって子どもを育てる共同体が形成された(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』)。

※幼児を育てる時間が長くなった人類は、授乳期間の途中で発情期が来てしまえば幼児は放置されてしまう恐れがある。そのため人類には発情期自体がなくなった。その代わりに、人類は性交期間を大幅に拡大させた(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』)。

・21世紀より約600万年前 Orrorin tugenensisが生きていた。

※化石はKenyaにて発見された。ただ、化石の頭蓋骨部分は失われており、Sahelanthropus tchadensisとの系統的な関わりは不明である(篠田謙一『人類の起源』)。

・21世紀より約580万年から520万年前には、Ardipithecus.kadabbaという人類が生きていた。

※化石はItyop'iyaで発見されている(篠田謙一『人類の起源』)。

・21世紀より約440万年前 Ardipithecus ramidus(ramidus猿人)が生きていた。

※化石からは、彼らは木登りは得意ながらも二本足で歩き、足は物を掴むことが出来たと推測されている。手足の形状はPan troglodytesとHomo sapiensの中間のような形であった。化石はArdipithecus.kadabbaと同じくItyop'iyaから発見され、その内の一つである成人女性の化石にはArdiという愛称が付けられた(斎藤成也『図解 人類の進化』篠田謙一『人類の起源』)。

・21世紀より420万年前~370万年前に存在していた人類にAustralopithecus anamensisがいる。

※彼らに代表されるAustralopithecus属は、誕生後の早い段階でAfricaの広範囲に拡大したと考えられる(篠田謙一『人類の起源』)。

・21世紀より約370万年~290万年前 Australopithecus afarensis(afarensis猿人)がいた。

※Ityop'iyaで発見された110cmの成人女性の骨格はLucyと名付けられた(斎藤成也『図解 人類の起源』)

※Australopithecus afarensisの脳容量は385~550mlほどであり、体格には性差があった。また、木登りや枝にぶら下がる能力も持っていたと考えられる(山岸明彦『元素で読み解く生命史』)。

B2186中新2683アフリカで気候変動による砂漠化が進み、森林が減って草原が拡大すると、果実は乏しくなった。そのような中、Paranthropus属という人類が登場する。 南Africaにいた者たちを Paranthropus robstis、東Africaにいた者たちをParanthropus boiseiという別種として区別する。

※Paranthropus属は頑丈型猿人とも呼ばれる。頑丈型猿人は下顎を引っ張り上げる側頭筋と奥歯が発達しており、Africaで数を減らした果実に代わる食料となった、硬いナッツ類や根茎類を食したものと思われる。頑丈型猿人に対して、Australopithecus属は非頑丈型ないしは華奢型猿人と呼ばれた(斎藤成也『図解 人類の進化』)。

※華奢型猿人の一部は、気候変動を受けて、動物の肉を食べる方針に切り替えた。21世紀より260万年前の地層から発見された動物骨化石には、人類の作った石器とともに発見され、また石器によって割られた跡が見つかった。このことから、Australopithecus garhiなどの華奢型猿人は、ライオン️やハイエナなどが食べ終わった獲物の死骸の骨を砕いて、脂肪分の豊富な骨髄を食していたものと思われる(斎藤成也『図解 人類の進化』Yuval Noah Harari『サピエンス全史』)。