個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

紀元前800~700年頃

・紀元前774年 周の幽王,姫宮涅は、寵愛する褒姒との間に儲けた伯盤を太子とした。伯盤の異母兄,宜𦥑は太子を廃され、申に亡命した。(『繋年』)

・紀元前774年 周の幽王,姫宮涅は、弟である鄭の桓公,姫友を司徒とした。(『史記』鄭世家)

※鄭の君主は、卿士を世襲することとなる(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前771年 周の幽王,宮涅は兵を率いて申を包囲するが、諸侯の繒と西戎によって攻められた。宮涅と伯盤は殺害された。(『繋年』) 鄭の桓公,姫友は戦死し、子息の掘突が跡を継いだ(武公)。(『史記』鄭世家)

・紀元前770年(吉本道雅「精華簡繋年考」) 周の大貴族,虢公翰は、故幽王,姫宮涅の弟余臣を周王として擁立した(恵王)。(『繋年』)

〔異伝〕『竹書紀年』では、姫宜臼は諸侯の申、魯、許に擁立王を称しており、並立していたとする。

※周は既得権益が蓄積されたことで、大貴族や諸侯の権力が増大した。各々の勢力が周王を擁立したことで内乱が勃発したのである(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前750年(吉本道雅「精華簡繋年考」) 携王:姫余臣は、姫宜臼に味方した晋の文候,姫仇に殺害された。(『繋年』)その後9年間、周には王が不在であった。

※以前は『竹書紀年』によって余臣の殺害は760年と考えられていたが、『繋年』の発見により750年であると判明した(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前740年(吉本道雅「精華簡繋年考」) 姫宜臼が周王として擁立された(平王)。(『繋年』)

・紀元前738年 周は犬戎に豊と鎬の一帯を占領されたことで、周の平王,姫宜臼は東の洛邑へ遷都した。(『繋年』)

※宜臼は本来は太子であったが、追放された後に即位しているため庶子となる。そのため、幽王,宮涅が滅ぼされたことで本家としての周王家は滅亡し、洛邑にて分家が王権を維持したことになる。平王以前の周は「西周」、以降は「東周」と呼ばれて区別される(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

※周の遷都が行われて以降の時代は、歴史書『春秋』に因んで「春秋時代」と呼ばれる(佐川英治「中国王朝の誕生」『中国と東部ユーラシアの歴史』)。

西周が滅亡して諸侯の力が強まると、地方では特色のある金文が刻まれるようになった。呉や越などで使用された「鳥書」という字体は装飾性が強かった(伊藤道治『古代中国』はじめに)。

※これにより豊と鎬の一帯は「中国」ではなくなった。その後周王は権威を低下させる(尾形勇ほか『日本にとって中国とは何か』)。

・紀元前8世紀後半 Asshurは繁栄し、君主Aššur-bāni-apli(Assurbanipal)は文書を収集、首都Ninevehの図書館の遺跡より多くの粘土板文書が見つかっている(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。

・紀元前720年 周の平王,姫宜臼が崩御すると、孫の林が即位した(桓王)。

※林は鄭から権力を奪取することを望んだ(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前714年 北方の軍事集団,ギミッラーヤがウラルトゥを破ったとの情報が、Asshurにもたらされた。

・紀元前705年 Asshurの君主,Šarru-kīn(Sargon)Ⅱは、ギミッラーヤと戦争中に死亡したという。

・紀元前8世紀末 〔参考〕Massagetai人に悩まされていた、東方Asiaの奥地のSkythai人が、Rā(Wolga)川を越えて黒海の北岸を占領した。先住民のKimmeria人は追い出され、Sinṓpēに移住したのたのだという。(Hēródotos『歴史』)

・紀元前704年 周の桓王,姫林は鄭を攻めたが敗北し、林は負傷した。

※鄭の荘公,姫寤生は諸侯として自立し、周の直轄地を獲得した。その後、周は伝統的権威のみを維持し、政治的権限を回復することができなくなった(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前704年 楚の君主,羋/熊徹は、周の桓王,姫林に昇爵を要求したが拒否されたので、王号を自称した(武王)。(『史記』楚世家)

※王号の使用は、周王と同格であることを主張するものであり、周王を尊重する諸侯からは蔑まれた(落合淳思『古代中国 説話と真相』)。

・紀元前8世紀末 〔参考〕Skythai人はKimmeria人を追って南下し、Mēdía(Īrān高原)に侵入してその場所を28年支配したという。(Hēródotos『歴史』)

・紀元前702年 斉と魯が交戦した。(『春秋』)

・紀元前700年頃 Arya系遊牧集団が、Zagros山中のPârsâを根拠地とした。

※Graecia語のPersia、およびそれに由来する「Īrān」に対する他称は、Pârsâに由来する(杉山正明遊牧民から見た世界史』)。