個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

紀元前1500年~1400年頃

・ヒクソクのエジプト侵略から100年以上後、エジプト土着勢力はヒクソクの馬と戦車を用いた戦術を吸収し、増大した軍事力によりヒクソクを攻撃し、後にエジプトから放逐、新王国時代を迎える(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。

ヒッタイトの君主スッピルリウマ1世は、ミタンニを征服し、北シリアを支配し大国となった。

新王国時代のエジプトは南方のヌビアへの進出をはかり、資源獲得のためのネットワーク拡充にいそしんだ。また、軍事拠点としてシリア・パレスティナを求めたため、ヒッタイトと利害が衝突し、争うようになった(上田耕造『西洋史の扉をひらく』)。

※エジプト新王国の君主は、遺体をミイラとして保存され、死後ナイル川西岸の岩山エル・クルンにある「王家の谷」という岩窟墓に埋葬された。ミイラは死者の魂が戻ってくるべき器だと考えられており、ミイラが失われることは彼らにとって本当の意味での死であった。そのため、自身の彫像をスペアとしてミイラと共に埋葬することもあった(上田耕造『西洋史の扉をひらく』)。

※エジプト新王国時代レリーフには、フンコロガシを象ったレリーフがある。当時のエジプトでは、フンコロガシに転がされる糞の動きを、太陽の動きと死後の再生に重ね合わせたのである。テーバイの守護神アメンはその権威が増大して主神となり、太陽神ラーと習合しアメン・ラーとなった(池上英洋『ヨーロッパ文明の起源』)

バビロニア君主国もなく、ヒッタイトの攻撃と内紛によってミタンニが崩壊した後、アッシリアが勢力を拡大した(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。

・紀元前1425年頃 エジプト第18王朝の君主としてDjehutimes(Thutmose)Ⅲが即位した。

※エジプトを統治する君主は巨大な王宮に住んで人々を指導したため、エジプトの言葉で「大きな家」を意味する「Per-aa」と呼ばれるようになった(君塚直隆『君主制とはなんだろうか』)。

※エジプト第18王朝は、Djehutimes(Thutmose)Ⅲの在世中にBuranuna(Euphrátēs)川流域にまで領土を拡大し、芸術も発展した(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。

※エジプト第18王朝では、Imn(Ámmōn)-Raの信仰が強まってており、それに伴って神官勢力が力を持っていた(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。