個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

紀元前49~1年

・紀元前47年 Antípatrosはユダヤ総督となった。その子息הורדוסはガラリヤ知事に任じられた。

・紀元前45年 1.1 RomaにおいてIulius暦が成立した。

・紀元前44年 2. Gaius Iulius CaesarはRomaの終身独裁官に就任した。

※Gaiusがそれまで対立したのは、Roma属州の支配権を持つ者たちであった。それらの勢力に勝利したことで、国家体制はそのままにローマの独裁者になれたとも考えられる。自身の地位や名誉を守るという私的な目的による闘争が、ローマにおける、専制支配の確立という必然的な帰結を成就させたとも評される(Georg Hegel『世界史の哲学』1830~1831〔冬学期〕)。

・紀元前44年 Marcus Tullius Ciceroは、『De Officiis (義務について)』を著した。

※最高権力者になろうとする将軍たちがあらわれる時勢において、Marcusは指導者の「virtūs/希:Arete(徳)」の重要性を説いた。彼は「徳」の構成要素を、深慮、正義、勇気、節制であるとし、徳を備えた人物が指導者になるべきだと主張した。また、指導者は国民の利益を念頭に置き、一派閥の利益のために他の国民を蔑ろにしてはならないと説いた(君塚直隆『君主制とはなんだろうか』)。

・紀元前44年 Gaius Iulius Caesarは新貨幣を発行した。

※それまでの地中海で流通していた貨幣にはGraeciaの神々の姿が描かれていたが、Gaiusは自身の横顔の彫られた貨幣を発行した。その貨幣の流通する領域がRomaであり、貨幣の真性を保障する者が自分であることを示す意図があったとも考えられる(君塚直隆『君主制とはなんだろうか』)。

・紀元前40年 ガラリヤ知事ヘロデは、Romaからユダヤの君主と認められた。

・紀元前30年 エジプトはRomaの属州となった。

※Romaの支配下となったエジプトでは、次第にヒエログリフが用いられなくなり、書き手も読み手もいなくなった(鈴木薫『文字と組織の世界史』)。

・紀元前30年春 ユダヤ君主ヘロデは、Gaius(Octavius)に忠誠を誓った。(Titus Flavius Josephus『Antiquitates Judaicae』)

※当初はヘロデはMarcus  Antoniusの部下であったが、GaiusはヘロデをPalestina支配に有用と考え、その地位を保証した(佐藤研『聖書時代史』)。

・紀元前30年秋 ユダヤ君主ヘロデは、Gaius(Octavius)よりガダラやサマリアを与えられた。(Titus Flavius Josephus『Antiquitates Judaicae(ユダヤ古代誌)』)

・紀元前29年 Gaius(Octavius)は、元老院より「Princeps(第一人者,元首)」の称号を与えられた。

・紀元前27年 Gaius(Octavius)は、元老院より「Augustus(尊厳ある者)」の称号を与えられた。

・紀元前27年 Gaius(Octavius)が「Augustus」の称号を与えられたことを記念して、ユダヤ君主ヘロデは、Samariaを、AugustusのGraecia語読み(sebastos)に因むSebasteに改名し、Augustus神殿を建立した。また、Sebasteを要塞化して、少数のユダヤ人を含む退役軍人など約6000人を入植させた。(Titus Flavius Josephus『Antiquitates Judaicae』)

・紀元前27年 Augustus,Gaiusは、元老院よりRomaの属州の内半分の管轄を任され、総督としての「Proconsul命令権」を得た。

・紀元前25年 パレスティナで大飢饉が起きると、ユダヤ君主ヘロデは自費で食料を購入し、エジプトから運ばせた。(Titus Flavius Josephus『Antiquitates Judaicae(ユダヤ古代誌)』)

・紀元前25年 ユダヤ君主ヘロデを暗殺する計画があったが、事前に防がれた。(Titus Flavius Josephus『Antiquitates Judaicae(ユダヤ古代誌)』)

※ヘロデはユダヤ人の中でもイドマヤ人であり、ユダヤ人からは「半ユダヤ人」と見なされた。秘密警察を使って反対派を封じ込めるヘロデは、ユダヤ人からは抑圧者と見なされたのである(佐藤研『聖書時代史 新約篇』)。

・紀元前24年 ユダヤ君主ヘロデは、イェルサレムに宮殿を建て、1つを「カイサレイオン」もう1つを「アグリッペイオン」と名付けた。(ティトス ヨセフス『ユダヤ古代誌』)

※ヘロデが建設したローマ的な都市では、非ユダヤ的生活が行われるため、敬虔なユダヤ教徒から反感を買うことになった(佐藤研『聖書時代史 新約篇』)。

・紀元前23年 Marcus Vipsanius Agrippaは、シリア総督となった。

・紀元前23年 ユダヤ君主ヘロデは、Augustus,Gaiusより北トランスヨルダンのトラコニティス、バタネア、アウラニティスを与えられた。(ティトス ヨセフス『ユダヤ戦記』)

※Augustusの威光を背景に、ヘロデは領土を拡大したのである(佐藤研『聖書時代史 新訳篇』)。

・紀元前21年 Augustus,Gaiusの娘,Juliaは、Marcus Vipsanius Agrippaと結婚した。

・紀元前19年 アウグストゥス,ガイウスは、「consul命令権」を得た。

※これによりガイウスは全Italiaを掌握し、名目上は共和制ながら実質的な君主となった(佐藤研『聖書時代史 新約篇』)。

・紀元前15年 ユダヤ君主ヘロデの勧めに応えて、Marcus Vipsanius Agrippaはイェルサレムを訪問した。

・紀元前14年 Marcus Vipsanius Agrippaはユダヤ君主ヘロデを伴って、小アジアを訪問した。(ティトス ヨセフス『ユダヤ古代誌』)

・紀元前12年 Augustus,Gaiusは、「最高司祭長(Pontifex Maximus)」となった。

・紀元前12年 Marcus Vipsanius Agrippaは死去した。

・紀元前11年 アウグストゥス,ガイウスは、妻リウィアの連れ子ティベリウスに命じて妻と離婚させ、娘のユリアと結婚させた。

・紀元前6年(漢暦建平1) 4.丙戌 劉歆は自身が校訂した『山海経』を漢の哀帝,劉欣に献上した。(『山海経』款識)

・〔参考〕『山海経』「海内北経」には、倭は蓋国の南にあり、燕に属するという記述がある。

※「海内北経」の部分は、劉歆が校訂した際に加えられた記述と考えられ、『山海経』が「中国」における倭(=日本)の最も古い記述だという説には疑問符が付く。『山海経』は神話集であり、実際の地域名を記したわけではないが、朝鮮半島の南にあるという認識を示している(冨谷至『漢委奴国王から日本国天皇へ』)。

※「蓋国」は朝鮮半島南部の「濊」であり、「海内北経」の「倭」は燕の東北にあるという見解など、様々な解釈がある(上田正昭『私の日本古代史』)。

※燕に属するというのは天空の区画のことであり、倭が燕の支配下にあったというわけではない(若井敏明『謎の九州王権』)。

・紀元前5年前後 ユダヤ人の家庭に、1人の男子が産まれた。(『共観福音書』)

※古代Graecia語では「Iēsoûs」、Aram語で「Yēšúa」。Hebraiの人名「Yĕhōšúa」が訛ったものである(田川建三『イエスという男』)。以下、彼の母語であろうアラム語に従い「イェシュア」と呼ぶ。

〔参考〕『マタイによる福音書』2章1節と『ルカによる福音書』2章4節~7節は、出生地をユダヤベツレヘムとする。

※出生地をベツレヘムとする記述は、Davidの子孫である救世主は、Davidゆかりの土地に生まれるはずだという、原始キリスト教会における観念から生じたものであり、史実ではないと考えられる。『マルコによる福音書』1章24節などによる「ナザレの」という言及から、イェシュアはガラリヤのナザレで生まれたものと思われる(大貫隆『イエスという経験』)。

・紀元前4年 ユダヤ君主ヘロデは死去した。(ティトス ヨセフス『ユダヤ戦記』)

・ヘロデの領地は、3人の子息に分割された。RomaのAugustus,Gaiusは、ヘロデ アンティパスとフィリッポスには君主(エッサイ)としての地位を認めたが、残る1人のアルケラオスは「民族統治者(ethnarches)」としてユダヤサマリアを支配させた。(ティトス ヨセフス『ユダヤ戦記』)

・紀元前2年 Augustus,Gaiusは「祖国の父(Pater Patriae)」の名誉称号を贈られた。

・起源前後 大月氏に仕えていた翕侯のうち、貴霜翕侯が勢力を拡大した(榎一雄邪馬台国(改訂増補版)』)。

※「貴霜」とは「Kushan」の漢字による音写である。総卒者である翕侯は、大月氏と同一の部族か否かは不明である。「中国」からは引き続き大月氏と呼ばれている(榎一雄邪馬台国(改訂増補版)』)。