個人的偏見の世界史

個人的に世界の歴史をまとめる試みです。

2024-01-01から1年間の記事一覧

紀元前1600年~1500年頃

・紀元前1600年頃 〔参考〕『史記』「殷本紀」によれば、子履(天乙)は夏王朝を滅ぼして王になり(湯王)、王朝「殷」を立てたという。 ※殷という王朝名は、後世に付けられたものである。中原最古の王朝であったため、別の王朝と区別するために、王朝名を付ける…

紀元前1800~1700年頃

・紀元前1792年 Babylōníaの君主,Sin-Muballitより、子息のHammu-rapi(Hammurabi)は君主位を継承した。 ・紀元前1783年 Babylōnía君主Hammu-rapiは、Ekallātum君主Ishme Daganと協力し、Buranun(Euphrátēs)川の中下流域の都市、ラピクムを攻めた。しかしEshn…

紀元前2000~1800年頃

・紀元前2000年頃から紀元前1700年頃にかけて、Ural山脈からQazaqstanあたりの草原にて、Indo-Europa語族の人々は二輪戦車を駆使して南方を脅かした(玉木俊明『世界史を「移民」で読み解く』)。 ・紀元前200年頃 中原には都市国家が形成されていった。 ・紀…

紀元前2500~2000年頃

・紀元前2358年頃 Lugal Zage SiがUnug(Uruk)第三王朝の君主となった。 ※Lugal Zage Siの時代には、Ki-en-ĝirの地域は統合されていった。 ・紀元前2334年頃Akkadの君主Sharru kin(Sargon)はUnug(Uruk)君主Lugal Zage Siを捕虜にした。 ※Akkad君主国は、Ki-en-ĝ…

紀元前3000~2500年頃

・紀元前2800年頃 Buranuna(Euphrátēs)川が氾濫した。 ※イラク南部アル・ブダイルにあるTell Fara遺跡は、紀元前2800年頃にBuranuna(Euphrátēs)川の氾濫による洪水の被害にあった痕跡があり、その後放棄されたようである。この遺跡は、かつてShuruppakと呼ば…

紀元前3500~3000年頃

・紀元前4000年紀の半ば、Ki-en-ĝir人がMesopotamiaに定着したものと思われる。Ki-en-ĝir人は自らを黒髪人を称するも出自は不明である(本村凌二 中村るい『古代地中海世界の歴史』)。 ※Ki-en-ĝir人の話すŠumer語は言語系統は不明であるが、助詞の変化で格や…

紀元前5500~4000年頃

・紀元前5500年頃 Mesopotamia南部にひとが定住を始めた。 ※遺跡の名前から、Ubaid文化期と呼ぶ。UbaidやEriduといった遺跡からは、彩文土器が出土している(小林登志子『古代メソポタミア全史』)。 〔参考〕『Nam-Lugal "Kingship(Sumerianus Rex List)』に…

紀元前6500~5500年頃

・紀元前6500年頃 Çatalhöyükでは土器とともに、粘土による小像や容器が作られていった。 ※土器を作るための燃焼技術は治金のために利用され、世界でも早くに銅製の玉、鉛製の首飾りなどの装飾品が作られる。一次産品が加工されていたということは、工人が存…

紀元前12000年~7000年頃

・紀元前12000年頃 肥沃な三日月地帯の地中海に近い場所にて、人々が定住して集落を形成した。人々は麦を採集し、追い込み猟を行っていた(林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』)。 ・紀元前12000年頃 地球温暖化により、America大陸南部の氷は溶け始めた。こ…

サピエンス登場

・21世紀より約16万年前 ヨーロッパにはネアンデルタール人が、インドネシアにはジャワ原人の子孫が暮らしていたころ、アフリカではホモ・サピエンスが進化していた。 ※このことは、1997年にエチオピアで発見された、21世紀より約16万年前を生きたホモ・サピ…